田淵安一 - 西欧人の原像(人文書院)

linedrawing2017-12-26

田淵安一はフランスを拠点に活動した画家。
1951年、前衛集団コブラの運動終息の年に渡仏しているが、参加メンバーとは深く関わっていたようだ。
それもあってか、表象よりもマチエールの具体性を追う視点は共通しているように思える。
場所や時系列がスキップする文章までは、先のアレシンスキーの本に似なくても良いのに…さすがに話の筋は通っているけれど。
おまけに、註釈もなく地名や歴史固有名詞が繰り出されるのには閉口した。
おかげで辞書としてのスマホ活用術が見えた気がするよ。
地中海から内陸へと史跡辿る旅の中で、日本人である著者が覚える西欧への違和感、その正体を探ったエッセイ…。
体裁はそのように繕われているけれど、やはりこれは「ものの見方」についての本だと感じる。
でなければ、序に続いて置かれた「象徴についての前章」は異様だ。


「…外界とは無縁に、脳の生理的機能から独りでに表われる形であって、幼児はこういう生理的に発生した図形を組み合わせながら、自然の認識を深めてゆくものらしい。つまり視覚器官が受け取った外界の刺激をいくつかの基本的な祖型の回路に送りこみ、これに修正を加えながら、次第に外界の事物の複雑な形態を学んでゆく。象徴はこういう意識のとどかない回路のなかでの主体と事物とのふれ合いに、遠いか近いかの起源をもっている。」(p.23)


史跡に図像の由来を追っているようで、意識の底を流れる地下水脈を辿っている。
水脈は表現者の内にばかり流れているわけではない。
観る者も「意味」とは別のところで無意識の水脈が捉えるものがある。
このふたつの識閾下のレイヤーにおいて像を結ぶところに、はじめて対象が生じる気すらしてくる。
そうであれば、イメージの直接性が招く不自由さを回避出来るはず。
認識する対象とは、無為の志向ともいうべきものの恣意性の焦点となるからだ。
「みる」ことが「ある」を描いている。