根茎

linedrawing2008-03-25

すぐそばで海が黒い水面を見せているからか、やけに暗く感じる横浜の夜。
蛍光灯明滅する展示/ライブに備えては、絶好の夜かな。
2月16日BankART StudioNYK ホール、伊東篤宏“SOUND & OBJECTS”。
各日異なるセットでの演奏伴う、2日間のみの贅沢な展示。
僕にとって恩師である伊東さんに、久々に会わす顔で無沙汰詫びつつの入場。
案内にあった言葉‘嗜好性を色濃く反映した…’云々から、一昨年の明大前での賑やかに操業する機械群に連なる展示と思いきや、、がらん空いた倉庫めく空間で待っていたのは静かな気配。
呟くように点滅する蛍光灯の下、瞬く異形のものの姿。
まるで真夜中の博物館に案内されたかのよう。
転じて演奏では、いよいよの轟音。
にしても、何時身に付けたかのポップさに、バリバリ鳴る放電音の方が場に応じての所作かと思ってしまう。
東南アジアのストリートにて、カセットテープで購入するジャーマンロック?
ソロからドラム加えてのデュオOPTRUMと続けば、もう誘爆は止まらない。
なにせドラマーからもレーザー放たれているのだから。
わんわんと光と音が散っていく。
演奏を直に浴すこと叶わない往年の名グループが幾つも頭を過る…もし体験出来るならば、こんな感覚を得るのだろうか。
終演後、会場で出交わした作家の佐藤実さんと共作のプラン練ろうと2階のカフェに上がるも、いつまでも先程まで目に耳にしていたものの感想を交わし続けている。


出演者の一人でありながら未知の音が楽しみでならない22日、千駄ヶ谷Loop-Line
もう証されようかという程ここのところ思い知らされていることなのだけれど…僕の興味は世間と反比例するものなのか、客足が鈍い。
来場待ちに開演押すことになり、自ずと僕のDJ時間が増す。
小窓切るかに部分ばかりを繋いでいこうと考えていた長尺の曲も、そのままに流していく。
やっぱり切らない方が良いな。
いよいよに始まる演奏にブース裏へしゃがみこめば、あれ、演奏者・楽器が見えない。
発音源が分からないままに耳を澄ますことに。
一番手はHello
扇風機のモーターらしきものは目に入った。
電子音と並行して駆動音が伸びて行く。
ブレークによって作曲の姿が顕わになる後半より、それまで時間に紛れていた鳴りの方へと惹かれる。
次いでの‘人数’も、オンライン/オフラインで仕切られることもなく空間に様々が囀る。
音が散在してあることに安心させられる。
そして、ここまでストイックに抑え込まれていた情感を、その爪弾きで一気に綻ばせるかのIAN WADLEY
訥々とループに重ねられていくギターによる断片が、ゆっくりとトラッドとも取れる層を成していく。
叢から音を散らしながら。
前以っての予想など明後日の方向でひしゃげている、あまりに素晴らしい演奏。
終わってすぐに秋山徹二さんに好物の音でしょうと言われれば、ガクガクと頷く他ない。
耳に残るのとは別の曲を掛けつつ、興味持ってくれた人達と帰りまで言葉交わす。
WADLEYさんまでが選曲に関心示してくれたのは、望外の喜び。
なにかの祝いかと錯覚しそうだ。


23日。
レコード屋で足を取られ、足を延ばすつもりでいた展示を一つ予定から落としてしまう。
それで直接に向かう六本木。
アート・バイ・ゼロックス ギャラリー安斉将“シサク”展。
意識せずに至ったかのアヴァンギャルド数点がとりわけ気になる。
どこで見ても軽々と規定ハードルを越えているのに、個展ともなればまた違う相貌で魅せている。
そして、会えば呑みと繋がる作家仲間。
建築・内装デザイン手掛ける安斉さんの知人Mさん加え、タダ酒にありつこうとギャラリー複合ビルCOMPLEXのクロージング・パーティーに向かうことに決める。
が、まずは中華で腹ごしらえしてから。
会食の盛り上がりに乗じてもうから酔った足で着いた先は、人も音も群れて混沌として居場所を見付けられない。
会場で遭遇の高橋辰夫さんも誘って、Mさん先導で呑みに戻る。
唐突ともいえるほど、六本木とは思えぬ良い感じに鄙びた居酒屋。
消えるスペースより、こちらを頭に刻んでおこうと思う頃にはすっかり出来上がっている。


3月1日。
20年ぐらい振りで訪れたレコード店はしっかり存在していて、様変わりしているはずの店内にも当時の片々を覚える。
過去へ買い物に来たかに、時間の止まっている在庫から収穫得てホクホク顔で向かうは、ゼロックスの研究会からの縁の佐賀永康君主導のグループ展。
横浜・創造界隈ZAIM別館、“POST”展。
ん?今、披露宴を横切らなかったか…展示会場へは、色々催されている古い学校みたいな建物内を巡らざるを得ないよう。
目指す部屋も複数に渡っている。
各室毎に様々な手法の作品が意匠凝らして在る。
それが、作品から作家の手が放れず、未だどこにも届いていないようにも映るのだけれど。
またも安斉さんと揃い、活花作家の志村みづえさんとも。
レセプション会場で、ホストもゲストも揃って一回り下だろうかと遠く眺める。


花粉症か、一昨日親知らずを抜いたからか、ぼうっとした頭抱えて出掛ける16日。
品川ギャラリー オキュルス、“ビー・バッカ”展。
参加作家それぞれが‘B’にこじつけて出展する括りでの展示。
トミ象さんの小さな小さな金属のロボットが、このサイズでも鉄人28号のように重量級に格好良く光っている。
展覧会場全体では、フリーマーケットの様相呈するバラバラさに、ほとんどが印象から零れていってしまったのだけれど。
あれ、目的の一つだった四釜裕子さんの作品を見逃している…こちらが重症だったか。


有楽町に出て銀座へと。
メゾンエルメスSARAH SZE 展。
どんなにか敷居の高い場所かと覚悟していたら、妙な緊張は通り抜けるショップ・スペースの混雑で紛れてしまう。
ギャラリー階までエレベーターで上がれば、がらんと光ある空間が開ける。
落差になんだか秘密基地めく。
入口足元からぽつぽつと始まる痕跡を追っていくと、奥へと日用品/取るに足らないものが層を成し、立ち上がり、峰を連ね景色と化す。
あまりに凄いものが目の前にあり、本当のところ、言葉はない。
ただ、これが‘展示’だ。
見えるもの全てが作品へと練り込まれていく。
夕刻にはまた違って見えるんですよ…と言ってくれるスタッフの対応も嬉しく、こんな一回性の制作を成立させる企業のあり様にも打たれる。
機会見付けて、これはもう一度会期内に足を運ばなければ。


ここまで来たからと、京橋で開催中の展示も回る。
ドルスバラード、“光と闇のラビリンス”…人形作家等によるグループ展。
出展作家の一人、由良瓏砂さんとは、彼女が人形作り始める前からの知り合い。
しかし、会うのは何年振りだろう。
変わらぬ趣向を確認し、時間もなく挨拶ばかりで次の約束へ。


あれこれ逼迫してきていて、已むを得ず、展示約束を断りに。
それが、どこをどうしたか、制作依頼に転ずる。
知の巡りが悪い日とあって…人と接しなければなにも始まらないが、距離を置かなければ錯誤する…と痛感しつつ進めた話の結果。
孤立し自律する個々が、遠目には隣接する同士、連鎖しているように見えるのが理想の集合なんだろう。
リゾーム?ハハ…笑わせんな。


遅れに遅れて着いたレセプション…のはずが、あれっ、シンポジウム?
どうも日付間違えたらしい。
上野の森美術館VOCA展”2008。
仕舞い間際しか耳に出来なかったが、きれいに収まった総括。
会場ぐるりと巡れば、手法・表現は異なるのに、面白いぐらい同様の印象が残る作品群。
これは纏め易かろう。
いずれもが、画面上でハレーション起こしているように感じるのだ。
志村みづえさん見付け、また会いましたねと言葉交わし、帰りにみはしで餡蜜買って帰る。


23日。
午前中にTシャツ原画渡し、午後からクマリネさんとで世田谷美術館
まずは、イリヤ・カバコフ“世界図鑑”展。
現在は現代美術家として立つカバコフが、ロシア時代、祿食むために描いていた絵本・挿絵を集めた展示。
レトロと映るタッチが、60〜80年代に描かれていることの驚き。
なにより、けれん味なく絵が上手い。
そう見えるのは、今あるものの祖型と並べることが出来そうだからか。
殆ど擦過線が使われず埋められる画面は、それこそ懐かしい絵本・漫画を想起させ、楽しい。
国家のイデオロギーに関わるような縛りがきつい仕事の方が、自在に見えるのも興味深い。
追っていて、なんだか元気が湧いてきた。


そして案内くれた萱原さんの展示。
写世術/photo projects vol.1、萱原里砂 展。
あったとしても人影は遠く小さく、荒涼たる景色が静かに開ける写真。
新作の“mirror”シリーズにしても、森に紛れるでもなく、湖に沈むでもなく、視線は水面を滑っていく。
ただ、画面に張られたこの突き放したような感覚は、叢にも石にも雪にも注がれるある種の優しさのようなものが維持しているようにも覚える。
在ることへ過るものから、こんにちは/さようなら。
萱原さんに挨拶し、三軒茶屋の会場にも行ってみる。


ついでで、僕の頭の中では何十年も前から変わらぬ印象のレコード店に寄ってみれば、さすがに在庫は時間に浚われ出しているよう。
数年前に見たものが、ごっそり無くなっている。
道すがら看板が目に付いたカフェで食事。
compound cafe
小さなスペースが縦に4階連なる不思議な造り…なにかの巣の中に居るようで落ち着く。
ごはんも美味しく、これは当たり。
ゆっくりと本と人に纏わる話で盛り上がる。