バラを作る

linedrawing2006-11-25

紙の断ち切れた先が奈落ではない。
その縁の断面、毛羽の感触が、別の場所へと繋ぐ。


24日青山。
clementsalon workshop、sai“surroundins”展。
羽田野さんに薦められた空間は、美容院の一角に設けられたギャラリー・スペース。
坊主頭の僕は、知らずかしこまって。
一角とは言っても店舗自体ががらんと広く、仕切りの向こうも、なにかが引き出された後の格納庫のよう。
中身を待ち受けているとは、確かに良い空間。
この折の中身…写真作品は、門から臨む草の道と、対面に掲げられた叢が、風穴を通すようで印象に強い。
庭を呼ぶのか。


雑貨店、東青山
気負いのない空気に馴染んで、つい長居。
空間、並べられているもの、スタッフの言葉も、慎ましくまた独特で、惹かれる。
形のないものについて、自然と言葉を交わしているのは素敵なこと。
素敵な場所。


阿佐ヶ谷。
中杉通りばかりを頼りに進んでいて、中野区との区界表示に出喰わし、ようやっと逆方向へ辿っていたことに気付く。
目指すとたんギャラリーがある阿佐ヶ谷住宅に着く頃には、もはや真っ暗。
給水塔の影に、子供の頃を過ごした団地の記憶が浮かぶ。
トラフ“MIZUITO”展。
室内室外にとぐろ巻く水糸は、人の動線のよう。
確かに、歩みに撹乱/変化していく。
庭に小さく光るは、そこにも往来があったのか。
不在の者の賑やかなこと。
それにしても、住居を兼ねる展示空間からか、居心地が良い。
初めてにして、何度目の来訪だったかと数える始末。
ここでも長居の失礼。


遅れて入場する自由学園明日館講堂。
レスリー・ハワードのピアノによる、パーシー・グレインジャー演奏会。
予想以上にメカニカルな楽曲。
ヨーロッパの民謡から借りた旋律が、いくつものラインを配して高速に進行する。
弾き切る奏者の腕に因るところもあるのだろうけれど、まるでプレイヤー・ピアノみたい。
その響きにアメリカーナを感じるのは、作曲者がアメリカへの移住者だったばかりではなく(オーストラリア出身)、曲の成立もがアメリカのトラッドの経緯を辿るようであるから…かと。
トーンは違えど、アパラチアン民謡と導線は近い。


とたんギャラリーで土産に貰った、折り紙のバラ。
そういえば、先週の西瓜糖でも布のバラを貰ったのだった。
バラの街、阿佐ヶ谷?


25日。
新宿にて、Bridge Records/WORM EATEN CONSEQUENCESと打ち合わせ。
いずれの話も、音を巡る遊星からか、すんなりと収まる。
僕にとってもそうであったから、ここは端緒と、予告ばかりの記述で。