ブリキの拳銃

linedrawing2006-11-03

昨日も、まずは帯留制作に備えて、人と会う。
きっぷの良い当たりを前に、始終リードしてもらっていたようで。
先行き如何は措いても、話が出来たことで満足だったかも。


溜池山王に居るのだからと、覘くArt Space by Fuji Xerox
“新収蔵品からの展示”を最後に場所を移すとは。
どんな形態を採っても、眼を惹くChristian Boltanski。
おそらくはここでも、運命を背負っているだろうポートレイトが、一度は文脈を断ち切られた状態で画面に並んでいる。


“sketch furniture”TWS青山
スウェーデンから来たデザイングループによる、モーションキャプチャーを利用して空間に描くスケッチの制作記録と、システムのデモンストレーションは、願いの1つが叶うようで愉しい。
その上、描かれたスケッチをそのまま実体化出来るとは、さらなるワクワク…のはずが、その実例がブレーキとなってしまっていて…なんだろう、フィギアが元の映像を遠くするようなものか。


新聞で取り上げられていた新雑誌を、確認しようと寄る書店。
棚に並置されたハキム・ベイ“TAZ”まで手に取って頁を繰れば、なにやら魅惑的な単語が過ぎる。
ん?、バロウズ?、ロバート・アントン・ウィルソン?…を連想。
自己の認識の内の問題を外部に置換することに退いて…バロウズを読まなくなったことを思い出すと、途端訝しくなってくる。
岩岡ヒサエの新刊コミックを買って出る。


gift_labで音楽談義。
まずいな、後に予定を控えながら、いくらでも話題が出る。
去り際に平和談義。


啓祐堂
残念、“黄金の馬車”発刊はまだでした。
来年の展示を端緒に、あれこれ話を伺う。
まずいな、後に予定を控えながら、いくらでも話題が出る。
美しい装丁の杉本正雄“日本のミサイル開発の原点”を頂いて、次の予定へ。


原美術館、ジェイソン・テラオカ“隣人たち”展オープニング。
アメリカのアンダーグラウンド・コミックを想わずにはいられない画風。
隣人と作家の内なる悪意…というモチーフを含めて。
同サイズで並ぶ連作など、まるっきりダニエル・クロウズじゃないか。
美術館スタッフと、‘郊外’から始まって、遍在するローカリティの話し。


帰りの電車で開く、岩岡ヒサエ土星マンション”。
なんてサラリと凄いことを描くのだろう。
駅に着いても、なかなか眼を外せない。


まだ、どこへ向かうとも言えない感覚がある。
例えば戦争。
遠く近くで緊張/緩和を続ける状況、物語の中での仮想、盤上の配置。
均衡を護り/崩すトリガー、玩具から広告にまで頻出する兵器、技術開発の恩恵を受ける家電。
いずれもの差異は、もとより全てのものの差異。
相似ということでは決してない。
決してないが、大きな出来事に視野を遮られるばかりでなく、小さな、より小さな事象の話しを続けることは出来ないのだろうか。
ミニチュアの中のマッチ棒で組まれた建物を心配することが、無駄ではないと、きっと今僕は考えている。