象の背、亀の背

linedrawing2006-10-09

ここのところ‘差異’についてばかり話している気がする。
僕の興味がずっとそこを向いているのだから、当然ではあるけれど。


昨日は、友人に依頼した作品撮影。
ながらも、ギャラリーに向かう前に覗くは中古盤屋。
知人とも遭遇する店内で見つけたのは、なぜかvol.2を先に入手していた、KALAHARI SURFERSの80's音源コンピ第1集。
この時期の南アフリカにして、刺々しいまでの政治性はまだしも、実験とポップが捻って結び付けられているのだからたまらない。
会場に着けば、継ぐように現る来場者。
今年初めの“筆跡と光跡”展で一緒だった作家の淤見さんの、気に入ったとの言葉が嬉しい。
‘対象に応ずる認識が多様であること’は、美術教育の過程に組まれているのか…しばしの話題。
友人が、アドバイザーのカメラマンを伴って到着するも、撮影行程は次々の応対に横目で追うばかり。
いや、応対と言ったところで、ドローイングで埋め尽くす空間、アウトサイダーアート…等々、こちらが振ったとしか思えない節が濃厚。
写真は、焼き上がりを待つしかない。
閉廊後、友人とその友人、兼藤さんと僕で、カフェにて一服。
友人が問うところの‘言葉で表れる人物像と、その実像のずれ’。
僕ばかりの応え(答えではないよ)をここに置いとこう。
過去の自己イメージを他人のものと思うことすらあるぐらいだから、もともとの他者が得る認識は違えたところで当たり前。
万華鏡を覗き込むように、無限に分裂するイメージの先に、自らでは不可視であった自己像を発見出来れば面白いのではないかな。
その後、書店にて秋の推薦図書合戦。
僕の推す1冊は、神林長平の“プリズム”。
その内容は…世界脱出を目論む少年の採った手段は、そこでの自らを不要の存在とすること。
兄が紙に描いた世界図が風に舞い、平面の上下に空間が見えた瞬間、少年が別の世界構造を理解する場面が印象深い。
帰りの電車で読む、ケニー・リンクスペシャリストの帽子”。
所収の1篇“人間消滅”に、同様のテーマが姿を変えて現れていて愕然。
‘彼女を支えているのは、各人がより良い場所に到着したはずだという思いだ’…この変奏曲、素敵過ぎ。
絶句。