触れるもの皆、塵芥と崩れ去る

linedrawing2007-10-26

時折、文章が継げなくなる。
必要のあるやなしに限らず、紙の上、画面の上に次の文句が置けない。
元より言葉が、産まれてからこの方、身に集めてきたものだから、離れることもあるんだろう。
うん、遅々たる更新の言い訳のようにも聞こえるだろう。


10月4日。
千駄ヶ谷の2度目に辿る路。
行く先での打ち合わせも、見えつつある概要を辿り直す。
帰りは馴れた経路で回る新宿、レコード屋
懐寂しく、実際買物するのは、最後に寄るタワレコのセール・ワゴンのみなのだけれど。
それでもほくそ笑む収穫は得て、ぐるり店内巡り降るエスカレーターから、以前に装画提供した行雲流水の代表の姿が目に入る。
久々と声掛け、店員交えて、ロウからハイと出揃った音質の中から何を選ぶかという話。
カセットテープ・リリースの復興をと。


6日。
頼んでいた掲示用金具が出来上がったというので、ギャラリー椿北川健次 展でトミ象さんと待ち合わせ。
ガジェット煌く作品群は、更に上位への設計/指示表とも採れる趣。
ひとしきり視覚にコツコツと考え叩かれてから、場所を移しての依頼品の受け取り。
常変わらず、併せて驚嘆すべき、話と仕上がりに撃たれる。
土産に、竹軸の愛らしい姿のガラスペンまで貰ってしまっては、軍門に下る他ない。
元よりそうではあるのだけれど、会う度毎に改めて降参。


駅前で感謝と共に別れて、SHISEIDO GALLERYへと足を伸ばす。
アフリカン・アメリカン・キルト-記憶と希望をつなぐ女性たち”展。
暮らしの必要から紡がれたものが、どうしてこうも力強く美しい姿をとるのか。
アメリカ南部に暮らすアフリカ系女性の手になるともあってか、音質粗くも蛇行する旋律を想起する。
カントリー?ブルース?…生活の毛羽立ち。
作業着のデニム継ぐは、深沈する青。


路に、偶然の出会いに久闊を詫びるかの女性。
相手のご老体は、見知らぬ人からの勧誘を恐れるみたいに、振り払っている。


トイレに駆け込む銀座松坂屋の地下に見付けたreading finerefine
内容も然ることながら、書架の分類に驚く。
目当てではなく、本と出合う偶然を企図した棚。
展示も行われていて、月刊育児誌“母の友”展。
現行の酒井駒子の表紙も惹かれるが、バックナンバーに付されたという長新太豆本が欲しい。


地下鉄の自由乗車券を利用していたので、根津まで出てみる。
薦められて以前に訪れた時は、閉じたシャッターとしか対面出来なかったヴァリエテ本六
ギャラリーに古書店を併せた…と説明するよりは、町の小さな公共図書館としたい、なるほど腰を落ち着けたくなる空間。
お茶まで頂いて、ますますに和む。
ただ、この空間と対峙するともなると、作家はかなりの覚悟が必要だろうとも思い、周囲を仰ぐ。


道々の古本屋を覘きながら、ギャラリー人を目指す。
高柳恵里 展。
以前に目にした展示に同じく、どこまでが作品でどこからが部屋の設えなのか、分からなくなるほどに力が抜けている。
それは心地好い弛緩とばかりは言えず、薄く張り詰めたものが敷かれているようにも。
作為についても同様で…いや、広告めいた画像の使用には僅かに熱を覚えた。


灯りに釣られて…そう、もう真っ暗だ…隣の店舗にも踏み込めば、BGMがアナログで鳴っている。
新しいものも古いものも並ぶ雑貨店、classico。
薄青いアンティークのタイルから目が離せなくなる。
それぞれに、小さなものが描き込まれていて。
しかし…手が出ない。
懐具合を勘案して、新品の綿布で我慢。


営業時間ぎりぎりに辿り着く、恵比寿drop around
紙への執着繋いでいって、本に仕立てようとの話。
ただ、判断はスウェーデンに仰がねばならず、輪郭はゆっくりとしか浮かび上がりそうにもない。
このペース、仕様にも織り込もう。
長い時間、付き合えるような本をね。


14日。
経堂のROBAROBA Cafeにて、写真家の中島博美さん、漫画家の岩岡ヒサエさん、クマリネさんとお茶会。
店内の賑わいに、限られた席でキュウキュウキュウと。
保育園に、大人が仮入園したかのような画に。
疲れ溜まっていたか、野放図な喋りなってしまい、不快与えなかったか心配。
仕込んでいったネタも、別れる間際まで忘れている始末。
マスキングテープ、苔に皆興味惹かれたようで、幹事としては会場に救われました。
それにしても、いずれもたおやかな姿勢の面々。
集まれるだけで嬉しいや。


16日。
目に見えぬものを公に供そうという者等で向かう、美篶堂
約束の時間まで眺める、ギャラリースペースでの“美篶堂の仕事”展。
美しく綴じられた紙束の数々に期待が高まる。
どんなものが作れるだろう。
しかして、時間に現れたのが以前に(森岡書店での佐藤貢 展の折)会ったことのある人だったというのは、ここに忘れていた約束があったかのようだ。


18日。
預け放していた作品が、今にして川崎市市民ミュージアムから戻ってくる。
表で作業していたところなので、届けてくれたスタッフ等と蚊に刺されながら話す。
大きなところの懐に潜っての、活動機会狭まっていると。
まぁ、自ら看板掲げて動く難しさは、今に始まった話でなし。
システムから編んでいかないと。


記憶ですら、持って産まれたものでなし。
前世跨いだものがあったとしてとも、雲散霧消。
そもそもの手にある得物は?