ドロップ/ドロップス

linedrawing2006-11-20

18日。
内部を取り払った教会のような佇まい、GALLERY HIRAWATA
作家の眼に特別な空間と映るからか、いずれもがスペース目一杯の展示。
足を運ぶ度に圧倒される…今回にしてもがまた。
阿部佳明“愚者の舟”。
タイトルを借りたボッシュ作品の模写を導入に、インスタレーションを設置した暗い空間へと導かれる。
水溝は、足場を配しながらバラ線で以って接近を阻むドラム缶から、零れる滴を受けている。
視線を外しても、気配を示し続ける水音。
作品の存在を背に感じながら、奥の部屋で居合わせた作家と交わす言葉。
ドイツ滞在時、立体を作る機会なく、具象画ばかりを描いていたという話。
手法を違えても、実際に眼にする画面には、やはり時間幅が封じられている。
また平面作品から立体へと視線を帰せば、バラ線は文様に転ずる。
ここからの帰路は毎度、我が身省みることしきり。
まだまだ状況に応じて振る舞い切れていない、と恥じ入る。


19日。
招待受けて代官山“BeGood Cafe”。
招いてくれたのは平野夫妻。
今回の妻イベント・スタッフ、夫ライブ出演でのコンビネーションは、言葉の端々にすら染み渡っているようで、ちょっと素敵過ぎます。
手を打ち合わせ、2人でリズム取っているかのよう。
イベントの中心は言葉。
‘コミュニティ+アート地域創造化が始まった!’をテーマにレポート、壇上でマイクが回っていく。
オーガニック・フードのブースもある会場でお茶を口にしながら聞くには、日常が見えてこない温度差。
待ち兼ねるは平野剛さんのライブ。
空間にポツリとアップライト・ピアノ。
鍵盤に触れられ、瞬き/羽撃きを始める。
時に運指に飲まれるようにして、震えを伝えてくる。
旋律が甘いのは、強くなる雨のせいか…波紋浮く蜂蜜。
PAによる濁りが、あまりに惜しい。
音が退いて、ふぅと一息。
残るプログラムは、越後妻有アートトリエンナーレ・ディレクターの北川フラムのトーク
出現するや否や渦巻くかの、テンション高い運動体。
トークも、その内容たる活動も、万難を排して自己実現に邁進する。
周囲を飲み込む弁舌たるや、プレゼン/広報ならば見事。
しかし情報としてとなると、鵜呑みには出来ない。
都市に対しての地方…中心が失われた現在においては、いずれもが遍在するローカルの内では。
また、自らを特別な場所に移さずとも、周囲は他者の連続だと思う。
帰りは大雨。
一括りにザーザーと降る雨も、一滴一滴においては別の波紋を描いている。