POOL

linedrawing2006-06-22

“seem”初日を訪ねてくれた、以前の作品から眼にしているという人が、“pool”展(2001年OFF SITE)に付した文章のことまで覚えていてくれて。
これに応えて読み返してみるに、表そうとしているものは現在においても通低音。
今更ながら、ここにも掲げておきます。


例えば…
・土手下の道に出来た小さな影を見て、何の投影だろうかと僕は考えている。
おそらく君は、それを花の形のようだとでも見ているのだろう。
並んで座っていても、二人の視線が同軌することはない。
僕が君に、君が僕になることはないのだから、君の考えを想ったところで、当たるはずもない。
・日が傾ぐにしたがって、影が揺らぐ。
それを受けて僕らの視線も変化する。
同じ場所に座り続けているのに、互いの変化に触発されて、影のある風景、君の見ている風景、僕の見ている風景は歪んでいく。
この場所に、対象物と君と僕が共有する固定した点などあるのだろうか。
停まるところを求めて、視線は彷徨い続けている。