TULLI LUM – Tulli Lum(CD Viljandi FolkMusic Festival ‘00)エストニア

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エストニアのフォークロックバンドJUSTAMENT、JAAARメンバーらによるユニット。
普段演っているバンドの方をネットで確認してみる限りでは…アメリカのカントリー歌手が吹かすリーダー風を見て「おらの郷の節でも音頭取ってみんべぇ」と始めたんじゃないかと想起してしまうほどになんとも野暮ったい。
それが唄でこうも変わるものなのか。
エストニアの民謡も採り上げているものの一旦自分たちの土の匂いを忘れて、喧騒を鎮めるジャズ・クロスオーバーな演奏で場所を作る。
ぽっかり空いた渺茫たる響きの中に、野卑でいて可憐な女声が現れる。
反復する旋律を拍子取るように音節で切っていきながら伸びる音に口を閉ざさない謡いが強く耳に残る、叫ぶこともけれんに転がることもないのに。
演奏者が土を忘れる必要があったのは、きっとボーカルに迎えた彼女のルーツが他メンバーと異なるから。
ラトビア出身というばかりではない。
少数民族リヴォニア人であり、ファミリーバンドを端緒に母語としては失われたリヴォニア語で唄っているのだ。
かつて日常に思考され意思疎通していたはずの言葉が、今や応える者を持たないとは話者としてどんな気持ちだろうか。
けれど表現者/創作者があることの幸い…残りの内のひとりではなく、ひとりからでも始められると考えられるだろうから。
ひとりから始まった新造語エスペラントの拡まりを見よ(エスペラント語のトラッドについても、その内に書けたら)。
そもそも「わたし」にとっての「くに」とは、居場所であり居心地のことだろう。
土地を持たずとも、自分以外の民を持たずとも構わない。
ひとりひとりが王国の主なのだ。
それぞれが異なる「くに」にある人と人とが接するところに、新たなフォークロアが紡がれる。
山田章博の漫画(『夢の博物誌』所収「地下鉄で海へ」)の一節を採れば…「そんな所あるもんか」って言うたびに国はひとつずつ消えちまうんだ…ぜ。
JULGI STALTEの唄から始まるリヴォニア史は確かにある。
https://youtu.be/9KTP3285iG0