ホレーニア – 白羊宮の火星(福武文庫)

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 ヴァルモーデンは、兵役の年季を済ませてしまおうと出頭した演習から数日もしない内に、詳細明かされぬまま実戦の内にいる。
状況が戦争へと踏み込んでいく次第が、夢と現が侵犯し合う濃密なまでの予兆に満ちた世界として綴られていくのだけれど…。
このヴァルモーデンという人物、いささか劣情過多で、上官宅で出交わした謎めいた女性のストーカーと化してしまい、せっかくの徴を恋眼でしか読もうとしない。
時代設定から80年も先の未来の僕からすると、作戦がナチスによるポーランド侵攻だと察しが付いて、舞台上の喜劇役者に声掛けるように危機迫る方向/錯誤を教えたくもなる。
その上、かたちは違えど予兆得ているのはどうも主人公ばかりではないようで、読み違うところまで揃って皆。
運命の女、フィクサー、実直な職業軍人…当人ですらそう自覚しただろう、お定まりのキャラクターが通用しなくなっていく。
侵略という行為の加害者意識すら与えてもらえないのだ。
各人の慮る物語を根こそぎにするのが戦争と言えるのかもしれないが、結末近くに読みを正されるのは現在の読者であっても殆どじゃないだろうか。
僕は数々の徴が帰結するところに吃驚した…こんなの予想付くかっての。
如何様にも調べられる歴史で読者を優位だと思い込ませておいて引っくり返す…そういう意味では本格推理の手触りがなくもない。
言外にヒトラーも運命を読み切れていないと腐されている。
世界の因果を読み切れる者なんて何処にもいない。
ところが第二次世界大戦も終わっていない1940年の作家が、「現在」の読者を罠に掛けているのだ。
作者ホレーニアの視座の在処を思うと恐ろしい。
世界を読むのではなく、(架空であろうと)世界を作るという強みだろうか。